1959年設立の社会人山岳会です。京都府山岳連盟加盟。入会受付中。 

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〔個人山行〕パルチャモ(6,273m)登頂報告 (1)(2)

京都岳連でパルチャモへと耳にしたのは一昨年の秋であった。26歳の時カラコルムに向かったが、準備不足やパキスタンの政変に会い7,000m峰登頂は叶わなかった。それから43年、その間に中国、ボルネオ、台湾、中朝国境などの山で海外登山の欲求を晴らしていたが、何か物足りないものがありこの計画には飛びついた。
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〔個人山行〕 パルチャモ(6,273m)登頂報告<1>   四方宗和

〔京都~カトマンズ~ルクラ〕
京都岳連でパルチャモへと耳にしたのは一昨年の秋であった。26歳の時カラコルムに向かったが、準備不足やパキスタンの政変に会い7,000m峰登頂は叶わなかった。それから43年、その間に中国、ボルネオ、台湾、中朝国境などの山で海外登山の欲求を晴らしていたが、何か物足りないものがありこの計画には飛びついた。

一行はY氏をリーダーに60歳を過ぎた面々8名(内女性2名)の集まりで平均年齢は64歳である(私が最年長)。

4月8日 関西空港出発、インチョン経由9日にカトマンズ着(運賃を安く上げる為に金浦~インチョン(1泊)とした)。

4月9日 カトマンズの空港には現地でお世話になるCOSMOトレックのスタッフが迎えてくれホテルに向かった(VISAは空港で取ったが1時間半ばかり時間を食った)。ホテル到着後、早々にCOSMOトレックに顔を出しシェルパを紹介された。
サーダーはツル(エベレスト3回登頂のベテラン)で後のメンバーはパサン、ミン、ダワの4人である。

4月10日、11日(カトマンズ滞在)
COSMOトレックで預けてある京都岳連の装備の整理、共同装備の準備、テント干しなどをし、ホテルでは個人装備の準備で時間を費やした。いずれにしてもルクラへの飛行便には一人当たり15kgと重量制限がきつく個人装備の絞込み(10Kgに制限された)には苦労した。

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   (ターメルの雑踏)

勿論、両日とも半日程度は時間を作りみやげ物店が軒を連ねるターメル地区(一番カトマンズらしいところ)へは日参しTシャツ、ショール、曼荼羅、袋物などを物色した。
また登山用品も氾濫しておりかなり古いモデルから新しいものまであるが値段が安く古いものは登山者がシェルパやポーターに遣った物のリサイクル?新品は中国のコピー品らしい。私自身、ノースフェースの雨具(1,400Rs=1,400円)、とサロモンのハイキング靴(1,200Rs=1,200円)を買った。
同じ地区の一角にはノースフェース、ミレー、マムート、マーモット、サレワなどのアンテナショップもありここは日本並みの価格であった。
食事は朝はホテル・バイキング、昼、夜は外食でカレー味が中心で私の口に合うのはありがたい。ビールは大瓶で180Rs~280Rsである。
1Rs(1ルピーがほぼ1円と云うのも解り易い)。

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  (共同装備の仕分け)         

4月12日(ルクラへ)
5:30ホテル発、空港に向かう。国内線はルクラ行きとポカラ行きとの乗客でごった返しているがそこはシェルパなれたもので我々はホテルの作ったランチボックスを屋上で食べている間にチェックインを済ませてくれた。7:00を回った頃、空港職員が呼びにきてまるでバスにでも乗る感じでAGNI AIRに乗り込んだらすぐに出発、約25分のフライトで7:57にルクラに着いた。
機は18人乗りで窓側に1列ずつ座席があるので眺めは極めてよい。離陸後、耳栓用の綿と飴くばりがキャビンアテンダントの主な仕事。

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    ルクラの空港着         

〔個人山行〕 パルチャモ(6,273m)登頂報告<2>
パルチャモの位置は
そもそもパルチャモはネパール東部のサガルマータ国立公園(世界遺産でもある)にありこの公園の東の端にサガルマータ(エベレスト)があり西の端にパルチャモはある。エベレストからは西南西方向に38km離れている。ナムチェバザールでエベレスト街道と別れ西に向かったところにある。

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4月12日  ルクラの町並み (左端が滑走路)

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荷物の仕分け

飛行機は山の斜面を登るように滑走し止ったが、飛行場を下り立ったらフェンスの向こうには到着したトレッカーから何か仕事がもらえないかと云うようなポーター様な多くの人が群がっていた。我々はシェルパがいるので大きなラッフルバッグを10ケ受け取ってすぐにロッジに向かった。街道沿いは1本の商店街となっておりここにはみやげ物と登山用具を一緒に売っている大小さまざまな店が軒を連ねている。そのほかには映画館、スターバックス、パン屋、貸し馬屋などもあったしあちこちでロッジの建築現場にも出くわした。商店街を少し歩いたところの大きな土産物屋の裏が我々の今夜のロッジであった。
到着後、中庭では明日からのキャラバンの荷物の仕分けが始まっていた。
この日は午後、1時間くらいの強い雨があった。

4月13日  ルクラ(2,840m)~ ベンカル(2,630m)
私は以前よりエベレスト街道には憧れていた。当会で歩いたことがあるのは小西(春)さんだけだと思う。59年前にイギリス隊がエベレストを登頂した時にはカトマンズから車でジリまで入りそこからキャラバンを組んでルクラ~ナムチェバザール~タンボジェ~エベレストBCへと歩いたのだろうがジリ~ルクラ間は結構長い。その後ルクラに飛行場が出来てエベレスト街道はずいぶん短縮された。私の中のこの行程は細い山道を上り下りしドードコシ川を対岸に渡るときにはカズラを編んだ橋でわたるのだと思っていたが、やはり街道と云うだけあって道幅は広くゾッキョ(ヤクと牛をかけたもの)やロバのキャラバンがすれ違えるほどの広さで橋も鋼鉄のワイヤーで出来ていた。

この日は7:00朝食、8:20出発であった。ルクラ~ナムチェバザール間は無理をすれば1日行程であるが高度順化を兼ねてビスタリ、ビスタリ(ゆっくり、ゆっくり)のキャラバンである。荷物運びは8人のポーターを予定していたがそれに変わりゾッキョ4頭で運んでいた。ゾッキョ使いは元シェルパのアン・ドルジと娘のパサン・ヤンジでBCまで運んでくれた。


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街道沿いの売店とベンチ

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ゾッキョ使いの父娘

我々のザックには念のための雨具と水、防寒具などで5kg位のものか・・・・。
ルクラを出る時に簡単なチェックポストがあったが後はかなり広い道の上り下りで街道沿いには時々民家が現れる。どの家もわずかでは有るがジュース、パニー(ペットボトルの水)、ビスケットを置いている。たいがいすごく埃をかぶっている。ネパールではカトマンズも含めエベレスト街道も空気が乾いていてどこもかしこも埃っぽく鼻水が出っぱなしてある。街道にはゾッキョ、ロバの糞がいたるところにありそれも埃となって舞い上がっているのでマスクをかけて歩いているトレッカーも多い。
昼食はラクデンのロッジでベジタブルカレーを食べた。

この日の行程はモンジョまで歩くことになっていたが、ひとつ手前のベンカルと云うところのロッジに泊まった。

ロッジ
ロッジはヨーロッパ風と云うか基本的にはツイーンルーム(2ベッド)で日本の山小屋のように雑魚寝はない。後日であるがあるロッジでは満室の場合はトレッカーが自前のテントをロッジ横の草地で張っていることもあった。キャラバン中ずっと感じていたが日本のように予約とかはせずにシェルパはその時の感性で宿は決めているらしい。

(続く-ここをクリック)
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Genre : スポーツ 登山
プロフィール

kyotohira

Author:kyotohira
山好きの社会人で構成された山岳会です。近郊ハイキングから、アルプス縦走、沢登り、岩登り、植物観察、山スキー、トレイルランニングなどオールラウンドに楽しんでいます。

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